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2010.01.11

今も、作庭記

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(石川県・文化財のサイトより転載)


友人の仕事のバイブル書であるという作庭記
日本の歴史上、はじめて
造庭に関する思想・技術を理論的に記述した書ということだが
現代の造園という仕事にも
充分通用するところが多々あるとのこと。

友人の話し振りから、すごく興味が湧いて
早速図書館で借りてみた↓
図解 庭師が読みとく作庭記


本の内容から受けた印象は
庭づくりとは、「自然(山、滝、池、海岸等々)」というものを
人間の手の中に納めるべく小宇宙化するということで
(そういえば、ルイス・バラガンも1950年のスピーチ
で同様のことを述べているのかもしれない。)
その「自然」をなるべくありのまま縮小で再現するための
意匠的なもの、あるは技術的なテクニックが書かれている。
庭を持つという意図は昔から同じなのだ。

また、本を読んで思い出したのは
だいぶ前にその友人の仕事を写真に撮らせてもらった時に驚いたこと。
それは、石や松や池といった庭を構成するものはもちろんのこと
コテや石を吊り上げる庭づくりの道具など
恐らく昔から全然変わってないのだろうな、というものがほとんどだったこと。

日本の庭をつくるということに関しては、
意図や方法が今も昔も変わってないので
現在もバイブルというのは、まず頷けるのだが
友人から指摘された、書のほぼ冒頭にあるこの点についても、なるほどと。


石立て(庭園造り)の心構え


一、むかしの上手のたてをきたるありさまをあとゝして、
家主の意趣を心にかけて、我風情めぐらして、してたつべき也。


現代語訳:
一、昔の名人が残した石立を手本として、施主の意向も汲んで、
自分なりの美的追求も加味しながら、造りあげていくのである。


ものづくりにおいて、施主とデザイナー(あるいは職人)の関係において
現代でも言えることだ…。

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