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2014年11月

2014.11.13

コートのような空間

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港近く、浜倉の続く路地にて。

通行の為のスペースであるが、
白の漆喰壁、モルタルの砂利洗い出しで仕上げられた
カッチリとした空間は
通路というより、コート(中庭)のような感じもする。




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正面が壁のT字路などは
特にコートのような感じが強い。

路の幅にもよるが
エッジがしっかりした街路は
「路」というより「室」に近く
空気の密度(?)を確かに感じることができるように思う。

2014.11.13



2014.11.10

人と石畳

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街を東西に抜ける県道(47号)より南側、
県道と平行に伸びる、石で舗装された街路がある。

現在では道の両側に建物が立つが、
それは、明治末期以降の埋め立てによるもので
かつて街路の港側(南側)は陸ではなく
雁木がとりつく岸であったとのこと。
保命酒製造の岡本亀太郎本店のウェブに
埋め立て前の写真が掲載されている

よって街路の北側に旧い家屋が並んでいる。




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かつて港に面していた街路の一角には
保命酒を製造する岡本家の家屋(上写真2つ)。
左角を曲がって続く路地には、店舗と倉が並ぶ(下写真)。




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アスファルト舗装は、「車が通る場所」といった感じになるのに対し
石畳は「人が歩く空間」と見えるのが不思議だ。

それは石の、「歴史を刻む」という素材の特性によるものなのか、、。
人のいる場所との相性は良いと、つくづく思う。

2014.11.10



2014.11.09

私的な路地

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焚場町の路地。
県道からの眺め。

この路地のように
路地が短く行き止まりであったりして
使う人が限られていると
プライベート度が一気に増すのが面白い。
(もっとも、公の道でない可能性も多いにあるが。)

路地に面する家の
「庭」のように
場合によっては
「屋外の部屋」のようになっていることがある。




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県道沿いの小さな社。
社の前は、ちょっとした憩いのスペースになっていた。
そのすぐ横は、魚屋さんで
ご主人が店頭で魚を捌いていた。

社の前は、道を挟んで海まですっと空間が開けられ
社は、きちんと海に対面。

2014.11.9



2014.11.08

焚場町

Tomo2_126

現在の県道(47号)は、古来より
鞆・近辺の町と福山をつなぐ唯一の幹線道路。
その道は、両側に家屋を並べながら
ほぼ鞆港の岸の形状に沿って走っている。

写真は鞆港の西岸からとうろどうのあるエリアを見たところ。
(とうろどうは、写真のちょうど中心あたりに見て取れる)




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打ち寄せる波の下には、焚場(たてば)が残っているとのこと。
焚場とは、今でいうドッグ(船渠)のようなもので
木造船の船底に付着したフジツボなどを取り払うため船底を火で焼く施設。
そして、このあたりの町内は古くから焚場町と呼ばれているらしい。
(「焚場町」は、公称の住所表示の地名では無いようです。)




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焚場町のあたりでは、県道と岸の距離はごく近い。
県道に面した、この食料品店の奥の開口部の外は
浜に繋がっているようだった。
奥には海面と波止場が見える。


参考文献:
中国地方の町並み3 (日本の町並み調査報告書集成)/
日本の町並み8鞆の浦を歩く

2014.11.8



2014.11.07

浦町の街道

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中世の鞆は、ふたつの町で成っていたという。

ひとつは、医王寺の山麓から大可島へ向かう海岸線にそって展開する浦町。
現在の県道(47号)におおよそ沿うかたちで成り立っていた。
その街路の両側には、平安時代から町家が建ち並んでいたとのこと。

上の写真の右から1/4くらいの位置に
彎曲して右上に連なっている切り妻屋根の家屋の連続は
その県道に建ち並ぶ現在の町並み。

写真右から1/3くらいの位置、
頭一つ抜けて山麓に建つ寺が、医王寺

また写真左に、常夜燈のある港が見える。




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街路や路地は、道幅と左右の建物高さとの比率で、受ける印象が変化する。
この県道の幅には、2階建ての高さの建物が、
空間的にバランスが良いように思う。(個人的には、、、)
元々は、もう少しだけ低い厨子二階(つしにかい)、本瓦葺きの家屋は建ち並んでいたようだ。




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同じく県道。
写真ではカーブしているように見えるが、実際の曲りはごく僅か。
右手の建物が、45度 隅きりされた交差点に建っており
それに沿ったファサードにてなっているのが作用しているのだろうか。
動きのある街路に見える。


参考文献:
中国地方の町並み3 (日本の町並み調査報告書集成)/
日本の町並み8鞆の浦を歩く

2014.1.11.7




2014.11.06

漁港へ続く

Tomo2_042

小刻みに緩く曲折した路地。
抜けると、朝の漁港へ。

コンクリート製の舗装タイルでも
その割付けは空間の効果に影響を与える。
割付いかんで、路地の躍動感(といったら大げさかもしれないが)の
度合いが変わると感じている。

2014.11.6



2014.11.05

朝の光が届く

Tomo2_117_2

光が届いた路地は
夜明け後とは、大きく表情を変えた。

露になった、様々な素材が
路地空間を織りなしている。
人も活気という要素を与えている。

2014.11.5



2014.11.04

階段を降りて、路地を抜けると

Tomo2_034
鞆城跡から石造りの階段を降りて
まだ暗い路地を抜けた先きに光る
朝の港。

2014.11.4



2014.11.03

路地の先き

Tomo2_025
まだ暗い路地に大きく縁取りされた
朝の海、朝の空。

2014.11.3



2014.11.02

早朝の路地、西町築出あたり

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少し光沢のある石畳に導かれた奥には
とうろどうの姿が小さく見える。
朝の柔らかい光に満ちた空間をも想像させる。

軒の高さが揃っている方が
町並みは美しく見えると思い込んでいたが
曲がった路地においては、色々な軒高さも
風景に心地よい変化を与えるものに見えた。

それは、まだ日の光が弱くて、路地全体の素材感が
すべて露になってない時間帯でのことかもしれないが。




Tomo2_011
上と同じ路地を、逆から見返す。
奥の澤村船具店の行灯看板が
アイストップのようになっている。

ここに立って見る路地は
手前の本瓦葺きの軒が、かなり強い感じで
路地の空間に影響を与えているように見える。



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歩み進めるとまた違った風景が。
奥の緑は、鞆城跡地の木立ち。

2014.11.2




2014.11.01

夜明け、鞆の港と石畳

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鞆の港の朝。
とうろどう(=燈籠塔)の灯は、朝の6時頃まで点いていた。

雁木と浜倉などで囲まれた、この石畳の空間は
街のシンボルである「とうろどう」と同じような存在で
街のヘソのような場所だと感じる。

ヨーロッパの広場のように、建物で囲まれている訳ではないのに
それと似たような空間の質を感じる。
何か、「事は此処から始まる」といった雰囲気があったりする。




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山のように見えるのは、仙酔島のシルエット。
港はまだ眠っているよう。

あとで気づいたことだが
「事が始まる」空気感は、この雁木に縁取られた石畳空間が
ステージのように見えるからかもしれない。
(その場合、観客席は対岸か、海上ということになるが、、)




Tomo2_006

対岸の小高い場所に建つお堂の屋根が目を引く。
お堂は圓福寺のもので、寺は大可島城跡に立てられている。

2014.11.1




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