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2014.11.07

浦町の街道

Tomo2_133

中世の鞆は、ふたつの町で成っていたという。

ひとつは、医王寺の山麓から大可島へ向かう海岸線にそって展開する浦町。
現在の県道(47号)におおよそ沿うかたちで成り立っていた。
その街路の両側には、平安時代から町家が建ち並んでいたとのこと。

上の写真の右から1/4くらいの位置に
彎曲して右上に連なっている切り妻屋根の家屋の連続は
その県道に建ち並ぶ現在の町並み。

写真右から1/3くらいの位置、
頭一つ抜けて山麓に建つ寺が、医王寺

また写真左に、常夜燈のある港が見える。




Tomo2_171

街路や路地は、道幅と左右の建物高さとの比率で、受ける印象が変化する。
この県道の幅には、2階建ての高さの建物が、
空間的にバランスが良いように思う。(個人的には、、、)
元々は、もう少しだけ低い厨子二階(つしにかい)、本瓦葺きの家屋は建ち並んでいたようだ。




Tomo2_038_2

同じく県道。
写真ではカーブしているように見えるが、実際の曲りはごく僅か。
右手の建物が、45度 隅きりされた交差点に建っており
それに沿ったファサードにてなっているのが作用しているのだろうか。
動きのある街路に見える。


参考文献:
中国地方の町並み3 (日本の町並み調査報告書集成)/
日本の町並み8鞆の浦を歩く

2014.1.11.7




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